観光地サイレントヒル。その発展の経緯を振り返ってみましょう。
“サイレントヒル”という名前が歴史に登場するのは、1810年頃のことです。アメリカが建国されて間もない時期に、流刑地となったこの地には刑務所や病院が建設されました。
そこに人々が集まり始めたことで、サイレントヒル村が生まれたのです。
サイレントヒルは小規模な都市でしたが、近隣の鉱山で石炭が発見。南北戦争での燃料の需要も高まったことで、炭鉱業が活性化していきます。
炭鉱夫たちの移住も重なったことで、サイレントヒルは鉱山都市として大きく発展を遂げることとなります。
しかし、豊かな時代は長くは続きませんでした。
加熱する採掘により、炭鉱の石炭は掘り尽くされてしまったのです。坑夫のほとんどは失業し、鉱山都市としてのサイレントヒルは窮地に立たされます。
しかし、このことをきっかけにサイレントヒルは、新たに広大なトルーカ湖を中心とした“観光業”に力を入れ始めます。
その甲斐あって1900年代には、美しく避暑地としての好環境に恵まれたトルーカ湖を中心としたリゾート地として知られるようになっていったのです。
その後も、人気の遊覧船や遊園地の開園など、レジャー施設も充実していったことで、現在もサイレントヒルは観光都市として発展を続けています。
ちなみに、古い伝承によれば、この地はサイレントヒルと呼ばれる以前、“静かなる精霊の眠る場所”、と呼ばれていたそうです。
先住民が精霊を祀る神聖な土地として独自の土着信仰が根付いていたとも言われています。
石炭鉱山の発見や湖の観光事業によってサイレントヒルが発展を遂げたのは確かですが、この地が持つ不思議な力、神聖な雰囲気こそが都会から訪れる人々の心を安らげる、ミステリアスな魅力の源泉なのかもしれません。